【鎌倉殿の13人】鶴岡八幡宮 〜鎌倉幕府の中心。舞殿・源平池・大銀杏〜

まいどはやです。

NHK大河ドラマの舞台、鎌倉に行ってきました。

鎌倉といえばその中心地は鶴岡八幡宮です。

私も半世紀前から度々訪ねております。

義経の奥さんである静御前が舞を踊った舞殿、北条政子が平家を呪い源氏の隆盛を祈った源平池、3代将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れていた大銀杏、等など。これらは半世紀も前、遠足の際に聞いた逸話です。

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東方面で知名度が高い。境内は国の史跡に指定されている。

康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。永保元年(1081年)2月には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えた。

治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。建久2年(1191年)に、社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。承元2年(1208年)には神宮寺が創建される。

源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、源義家が勧請した経緯もあり、武家の崇敬を集めた。

※wikipediaより

境内入口には源頼朝が臨時別当の専光房良暹と大庭景義に命じて掘らせた「源平池」と称する、左右2つに分かれた池がある。源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産(三)と死(四)を表すという。池には鯉やすっぽんが生息し、水鳥も多い。夏期には蓮の花が一面を覆う。源氏池の島には旗上弁天社がある。源氏池と平家池を繋ぐ水路には石造の橋が架けられ「太鼓橋」と称される。創建当時は木造で、朱塗りだったことから「赤橋」と呼ばれた。北条氏の庶流・赤橋家の苗字はこの橋の名称に由来する。現行の石橋は二代目で、先代は大正12年(1923年)の関東大震災で崩壊した後、昭和2年(1927年)に再建された。橋は現在は柵で締め切られているが、昭和時代までは自由に通行可能で、橋上は記念撮影のスポットとしてよく使われていた。なお、太鼓橋の左右には一般参拝者が通行可能な橋があり、赤橋の名を受け継ぐかの如く、赤く塗られている。なお、源頼朝の求めに応じて舞った静御前が源義経を慕う次の歌を詠んだとされるが、当時はまだ舞殿は建立されておらず、若宮社殿の回廊で舞ったとされている。

※wikipediaより

うーん。なんかちょっと記憶と違うなぁ。

歴史には諸説あるのはわかるけど〜。この機に記憶を修正しておきましょう。

ちなみに舞殿のアップはこちらです。

大銀杏ははるか昔に倒木のニュースを聞いた気がしました。当然のこと今はありません。石階段の両側に雄々しく立っていました

大銀杏の倒伏

建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。この伝説が知られるようになったのは江戸時代になってからのことであり、当時の史料にはない話であるうえに当時の樹齢を考えると、人が隠れることのできる太さにはまだ成長していなかったという説もあるため、真偽は不明である。伝説を疑問視する説もあれば、公暁が身を隠したのは先代の樹であり、現在の樹は2代目であるとする説もある。1955年(昭和30年)より神奈川県の天然記念物に指定され、鶴岡八幡宮のシンボルとして親しまれていた。樹齢800年とも1000年余ともいわれていた。

2010年(平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れた。倒れた大銀杏は3つに切断され、3月15日、根元から高さ4メートルまでが、7メートル離れた場所に移植された。残る2つは境内に保存された。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽が確認された。

※wikipediaより

こちらは若宮です。祭神は仁徳天皇など3柱です。

こちらは白旗神社

白旗神社
祭神:源頼朝、源実朝
逸話として、豊臣秀吉が小田原征伐の後に参拝したが、その際に祀られていた頼朝像を見て「我と御身は共に微小の身から天下を平らげた。しかし御身は天皇の後胤であり、父祖は関東を従えていた。故に流人の身から挙兵しても多く者が従った。我は氏も系図も無いが天下を取った。御身より我の勝ちなり。しかし御身と我は天下友達なり。」と言うと、笑いながら頼朝像の背中をポンポンと叩いたという。

※wikipediaより

こちらは縁起のよい、鶴亀石。

今回は鎌倉の中心、鶴岡八幡宮を訪ねてみました。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ながら、また何度か足を向けて見たいと思いました。





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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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