【鎌倉殿の13人】大河ドラマ館(伊豆) ~源頼朝と北条家の出会い、そして挙兵、いざ鎌倉へ~

まいどはやです。

伊豆の国市に開館された「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館を訪ねました。

目次

◇歴史背景

平治元年(1159)、京都に内乱がおこりました。

この内乱は、藤原通憲と結んで勢力を伸ばした平清盛を打倒しようとして、源義朝が藤原信頼と結んで挙兵したものです。結果は平清盛側の勝利となり、源義朝・藤原信頼は殺され、平氏政権ができあがりました。これを元号にあわせて平治の乱といいます。

そして、源義朝とともに戦った息子の源頼朝は、伊豆国の蛭ヶ小島(現在の伊豆の国市)に流刑となりました。

流人時代の源頼朝がどのような生活を送っていたのかは定かではないそうですが、平清盛の命を受けて源頼朝を監視していた伊東祐親の娘八重姫との恋や、伊豆の小豪族であった北条時政・娘の政子との出会いなどがあり、流刑から20年が経った治承4年(1180年)、源氏再興の旗挙げをします。

◇大河ドラマでは、(ネタバレ含みます)

  • 北条家を取り巻く豪族たちとの関係性。
  • 流罪人である源頼朝と伊東氏の娘である八重の間に男子が生まれ、伊東祐親が激怒し男子を密かに殺害。
  • さらに伊東祐親が源頼朝を処断しようと北条館に出兵するが、北条氏は頼朝をかばい対立。
  • そこに平清盛を後ろ盾に相模の武士団を束ねる大庭景親が仲裁。
  • 源頼朝と引き離された八重が伊東祐親の家人・江間次郎の元へ嫁がされる。(北条館の対岸)
  • 平清盛に反旗を翻した後白河法皇の子・以仁王の令旨が源頼朝に届く。(以仁王の乱)
  • 源頼朝が挙兵し、伊豆国の目代・山木兼隆を討つ。
  • 相模で奉行を務める大庭景親が梶原景時ら源頼朝を討伐するために出兵、伊東祐親も出兵し挟み撃ちになり源頼朝軍が壊滅するが、山中で梶原景時に見逃され、九死に一生を得る。(石橋山の戦い)
  • 源頼朝が房総半島へ敗走。

このあたりまでの舞台となったのが伊豆の国市で、その縁の地に大河ドラマ館が公開されたのです。場所は、韮山時代劇場です。

蛭ヶ島公園から直線道路ですぐ、駐車場には案内の方がいて誘導してくださいます。駐車場はゆったりしています。

道路を隔てて韮山時代劇城の敷地となりますが、ちょっとした遊具もあり子供を遊ばせる事もできます。お土産やおやつなども買えますよ。

上)駐車場絡み地を隔てたところに案内板がでています。少々歩きます。

下)韮山時代劇場正面にある案内板。

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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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