銀世界に包まれた金沢城を散策 – 雪景色が魅力的な観光スポット

まいどはやです。

金沢城は、石川県金沢市にある歴史的な城です。戦国時代には、前田利家が築城し、江戸時代には加賀藩の居城として栄えました。現在では、国の重要文化財に指定され、多くの観光客が訪れます。

私は2月末に金沢城を訪れたとき、まだ雪が残っていました。そのため、城内は雪景色に覆われ、とても綺麗でした。白い雪と、黒い瓦屋根、そして赤い橋という三つの色が調和し、まるで絵画のようでした。

金沢城(かなざわじょう)は、加賀国石川郡尾山(現・石川県金沢市丸の内)にある日本の城である。江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。城址は国の史跡に指定されており、城址を含む一帯は金沢城公園(かなざわじょうこうえん)として整備されている。

概要
金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形にちなむ。台地先端を山の尾とみなした)。櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。

この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により討たれ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。利家は文禄元年(1592年)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重6階の天守や櫓を建て並べた。兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた蓮池庭を前身とし、代々の藩主が改修した大名庭園である。

なお、金沢の地名は室町時代の文明年間には既に存在していたことが知られているが、尾山御坊時代は金沢の小立野台地の先端すなわち山尾(尾山)にあったことから尾山の呼称が使われていた。佐久間盛政が新城を築いた時に一向一揆の印象が強い尾山ではなく金沢を城名に用いたが、前田利家が入城すると羽柴秀吉(豊臣政権)に敵対して滅ぼされた盛政命名の金沢城ではなく自身の出身地の尾張国にも通じる尾山を採用した。だが、金沢の地名が広く知られていたために尾山城の名前は普及せず(豊臣政権の公文書でもほとんど用いられていない)、利家自身も再び金沢の城名を用い始めたと推測されている。

※Wikipediaより

城内に入ると、まず目につくのが二の丸御殿です。ここは、加賀藩主の居住区域で、豪華な装飾が施された部屋が並んでいます。特に、天井に描かれた龍の絵は迫力があり、見応えがありました。

金沢城には、本丸と呼ばれる城の中心部が存在していません。これは、金沢城が築城された時期や背景、そして築城目的などによるものです。

金沢城は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、前田利家や加賀藩主が治める領土である加賀国(現在の石川県)の中心部に築城されました。しかし、当時の加賀国は豪雪地帯であり、本丸と呼ばれる城の中心部を作るためには、大規模な土木工事が必要でした。

当時、金沢城の築城は、北陸地方に進出してきた豊臣秀吉に対する防衛のために行われました。そのため、前田利家は、築城の速度を優先し、本丸を作ることなく、城壁や櫓、門など、戦闘に必要な建物を中心に築城を進めました。

また、加賀藩主が金沢城に移った後、加賀藩は江戸幕府に仕え、治安維持や商業活動のために城下町を発展させました。そのため、金沢城は、城下町の中心部に位置し、城内には、藩主や幕府の役人が暮らすための御殿や役所が建てられ、本丸の代わりに二の丸や三の丸などが中心となるようになりました。

 

金沢城は、江戸時代の前期に建造された城郭であり、現在は国の特別史跡に指定されています。しかし、城内にはかつて天守や櫓、門などが建てられていたものの、現在は多くが失われてしまっています。そこで、金沢市は平成時代に入ってから、金沢城の発掘調査を進めていくことになりました。

平成元年(1989年)から、金沢城の発掘調査が始まりました。調査は、まずは城内の標高調査や文献調査などを行い、次に城郭の築造年代や変遷などを調査するため、城内の広範囲にわたる発掘作業が行われました。

発掘作業では、当時の城内の建物や生活用品などの遺物が発掘されました。中でも、石垣や井戸、建物の礎石などが発掘され、城内の構造や規模を明らかにする重要な情報となりました。また、当時の陶器や硬貨、銃弾、馬具なども発掘され、当時の生活や文化についての研究にも役立っています。

現在では、金沢城の発掘調査は継続して行われており、新たな発掘調査の成果が報告されることもあります。これらの発掘調査の成果によって、金沢城の歴史や文化についての研究が進み、金沢城を訪れる人々にとっても、より深い理解が得られるようになっています。 

金沢城は、石川県金沢市の中心部に位置しています。そのため、城の周りには金沢市の中心地としての機能が集積しています。金沢駅からバスで約15分の場所に位置しており、周辺には多くの商業施設や観光スポットがあります。

城の南側には、金沢市役所や県庁があり、市の行政の中心地となっています。また、北側には、兼六園をはじめとする観光スポットが集積しており、多くの観光客が訪れています。さらに、城の周りには多くのホテルや飲食店もあり、訪れる人々にとって便利な立地となっています。

金沢城の周りは、歴史と現代が交錯する場所となっています。歴史的建造物である金沢城と、現代的な商業施設や行政機関などが共存することで、金沢市の活力ある中心地として発展しています

金沢城を訪れ、雪景色を見た私の印象は、まさに「白銀の世界」でした。白い雪が降り積もり、城の美しさを一層引き立たせていました。特に、石垣の上に積もった雪が、壮大な城郭をより一層威厳あるものにしていました。

ぜひ機会があれば皆さんも金沢城を訪れてはいかがでしょうか?







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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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