皇居東御苑内の広々とした芝生が広がる場所は江戸城の本丸跡

まいどはやです。

今回は皇居乾通り一般公開に参加するため、皇居東御苑を通り抜けたので記事にしてみます。

ルートは北の丸第二駐車場から北桔橋門を経由して大手門へ抜けました。

皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)は、東京都千代田区の皇居の東側に付属している広さ約21ヘクタールの庭園。宮内庁の管轄。皇宮警察がある。

歴史
当地はかつての江戸城の本丸・二の丸・三の丸に位置する。本丸には江戸幕府将軍の住居である本丸御殿や天守閣があり、城の中枢であった。

明治時代から第二次世界大戦前までは宮内省や皇室関連の施設があった。戦後の1963年に特別史跡に指定され、1968年10月1日から一般に公開されている。苑内は自然が豊かで、昭和天皇の発意により武蔵野の自然を模した二の丸雑木林や、果樹の古品種園、ヒレナガニシキゴイが放流されている池がある。このほか日本庭園や皇室関連の施設、江戸城の遺構など歴史的な史跡も見ることができ、国内のみならず海外からの旅行者も多く訪れる。現在でも宮内庁関係の施設があるため立ち入り禁止の区域がある。

2018年3月27日に開園以来の来場者数が3000万人に達した[

主な施設
三の丸尚蔵館 – 宮内庁所管の美術品、絵画など貴重な品々を展示している。1993年開館。入館料は無料。
宮内庁書陵部庁舎 – 40万点に及ぶ皇室の古文書と全国に存在する陵墓の管理を行っている。
宮内庁楽部庁舎
桃華楽堂 – 香淳皇后の還暦を祝い、1966年に建てられた音楽堂。
同心番所 – 同心が江戸城へ登城する大名の供を監視した。以前はこの番所の前に橋があり、御三家を除く全ての大名・役人はここで乗り物から降りて徒歩で本丸へ登った。
百人番所 – 本丸・二の丸へ続く大手三之門を警護していた門。鉄砲百人組と呼ばれる甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の同心100人が昼夜交代で警護に当たった。
大番所 – 本丸へと通じる中之門警備のための詰所で、最後の番所であり、位の高い与力・同心によって警護されていたとされる。
諏訪の茶屋
富士見櫓 – 現在のものは明暦の大火の後(1659年)に再建されたもの。江戸城の天守は、明暦の大火で焼失した後に再建されることがなかったので、それ以後、江戸城のほぼ中央に位置していたこの富士見櫓を天守の代わりにした。
松の廊下跡
天守台(江戸城天守跡) – 本丸の北端に位置している。最初の天守は1607年に完成し、このときの天守台は少し南にあった。3代将軍家光が大改修を行い、最終的な完成をみたのは1638年。この時、現在の天守台ができた。天守は、外観5層、内部6階建てで、天守台を含めた高さが58mであり、天気が良ければ房総半島からでも見ることができたという。しかし、明暦の大火で焼失してしまい、再建する案もあったが、家光の弟である保科正之(会津松平家藩主)の反対により再建は延期され、それ以後、天守は建設されなかった。
展望台 – 江戸城本丸跡の西側、本丸休憩所の裏手から登った先、白鳥濠の脇に展望台がある。もとは御台所前三重櫓があった場所で、1863年(文久3年)に焼失した後、再建されることがなかった。眼下の白鳥濠は、本丸と二の丸の間に残った唯一の濠で、1635年(寛永12年)年、二の丸拡張工事の際、本丸と二の丸・三の丸との間にあった内濠は白鳥濠を除いて埋め立てられた。江戸城は本丸と白鳥濠を隔てた二の丸は標高差が10mほどあり、かつての日比谷入江の海岸段丘のヘリに位置する。白鳥濠を見下ろし、大手町や丸の内のビル群を眺望できる。
本丸休憩所増築棟 – 寛永期の天守を1/30スケールで再現した江戸城天守復元模型が公開されている。

※Wikipediaより

公園内に「皇居東御苑と上皇上皇后両陛下」の掲示があり、しばし見入ってしまいました。

見えにくいですが、お城の見取り図です。

周辺からのアクセスズです。

天守台跡です。

公園から東京駅側を見ています。

大奥跡周辺にあった江戸城見取り図。拡大した物が上に掲載したものです。

たくさんの果物がなっていました。

公園から大手門へ下っていきます。

大番所跡です。

今回は皇居東御苑を訪ねてみました。

お目当ての乾通り一般効果の記事はこちらです。







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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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