国宝松本城は酷な道のり 体力と相談して天守に登りましょう!

まいどはやです。

6月25日(日)に長野県の松本城に行ってきました。

これまで何度か行ったことがあったのですが、コロナ禍の運動不足か加齢のせいか、筋肉痛がⅢ日間続くほど、お城を登るのは大変でした。

目次

国宝 松本城

松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市(旧・信濃国筑摩郡筑摩野松本)にある日本の城である。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。

天守は安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)。

戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。

天文年間には甲斐国の武田氏による信濃侵攻が開始され、1550年8月27日(天文19年7月15日)には林城・深志城などが落城し、信濃守護・小笠原長時は追放された(『高白斎記』)。武田氏は林城を破却して深志城代として馬場信春を配置し、松本盆地を支配下に置いた。その後は信濃小県郡の村上義清、越後国の長尾景虎(上杉謙信)と抗争し、北信濃に至る信濃一帯を領国化した。

1582年(天正10年)、甲州征伐に伴う武田氏滅亡により城代馬場昌房から織田長益に明け渡された後、織田信長によって木曾義昌に安堵された。本能寺の変後の武田遺領を巡る天正壬午の乱において、同年6月には越後の上杉景勝に擁立され、小笠原旧臣の助力を得た小笠原洞雪斎が奪還。さらに徳川家康の麾下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名した。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ、当時の松本城主小笠原秀政も下総国古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。石川数正は徳川家を出奔して秀吉の下へ走った経緯があり、天守の築城は関東を領した家康に対する牽制・防衛のためだといわれている。

その後、家康が江戸幕府を創始。江戸時代初期には大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が再び入城。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の藩庁として機能した。水野家の後は松平康長に始まる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。

※Wikipedia

松本城周辺を歩く

駐車場にクルマを止めて松本城へ向かいます。

そこかしこに案内図があるので道に迷うことはありませんね。

この角度からすでに名城の装いにあふれています。

ぐるっとお濠を回りながらこの天守閣へ登る予定です。

お濠には鯉がたくさん泳いでいます。

人に慣れているのか、近づくと鯉が寄ってきます。

夏のような暑い日でしたが青空に映えた松本城です。

後で考えるとモクモクと出ている雲が何かを暗示していたような?

松本城周辺の案内図をアップしてみました。

この方向からの松本城も素敵ですね。

右回りに回り込んでいきます。

雲も少なくて今回のベストショットです。

お城に入る入り口から撮影した松本城。

観覧料金は気持ち高めかな?

お城に登らない場合は無料でお城の際まで入れます。

松本城と城下町の説明がありました。

この門を通って、いざ松本城へ登城です。

門の左側に鎧と兜が飾ってありました。

よく読むと松本城とは何の関係もないそうです。

松本城の歴代城主が書かれています。

石川氏は「大河ドラマ どうする家康」で家康の最側近である石川数正らです。

「お城人気ランキング」が掲示されています。

どの調査でも高順位であると言いたいのでしょうね。

入ってすぐのところに記念写真に最適なフォトスポットがあります。

ここで写真を撮って帰るべきでした。

いよいよお城が近づいてきました。

混んでいるときは入り口まで1時間半とか並ぶそうです。

この日はすぐ入り口前まで行って10分くらい待つことになりました。

国宝 松本城天守

解説を読めば読むほど行かずに帰るという選択肢はありませんでした。

松本城の天守に登ってみた感想

はじめに書いておきますが、「国宝 松本城」は本当にきれいなお城であり、どの角度から見てもうっとりする景色となります。

ですので長野に行ったら絶対に松本城を訪ねてほしいと思います。

ただし!

体力に自信のある方を除いては天守に上るのはお勧めしません!

この日は比較的空いていたと思いますが、階段は急で狭く相互通行です。

ところによっては60度という傾斜です。

係員さんが随所にいて声かけをしていますが、階段を滑り落ちたら巻き添えで多数のけが人が出そうです。(実際にあった事故のことを係員さんがアナウンスしていました。)

最上階を前に多くの人は声もなく、最上階について景色を見ようとする方はほぼいませんでした。

そして今度は地獄の下りです。

ご存じの通り、階段は上りより下るの方が堪えます。

私は3日間ほど湿布を貼って過ごしました。

なのでぜひ、体力と相談の上で天守に上がるか上がらないかを検討して頂けたら、楽しく美しい松本城が味わえるかと思います。







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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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