4月6日、日本橋周辺を散策してみました。
いつでも行けるからと思っていると意外と行けないものですね。
今回は日本橋周辺の見所を短い時間でしたが歩いてみました。
日本橋(にほんばし)は、東京都中央区北部の通称。旧・日本橋区にあたる。また、東京都中央区の町名。
広域地名としての日本橋は、東京都中央区北部の地域で、旧日本橋区全域を指す商業地・ビジネス街である。東京駅日本橋口から見て北東方面に位置しており、周辺の八重洲・京橋・大手町・丸の内などとともに東京の中心業務地区(CBD)を構成している。東京の都心部に相当する。旧日本橋区西側を南北に貫く中央通り(地下には東京メトロ銀座線が走行している)沿いが日本橋エリアの中心である。
江戸時代から武家屋敷が立ち並ぶ山手に対して、町人文化の中心地下町を代表する地域であった。東京は池袋や渋谷などの比較的歴史の浅い街が多い中で、日本橋は江戸時代初期から江戸の中心市街地としての歴史と伝統を持つ数少ない地域である。近代以降も重要な地であった日本橋には、日本銀行本店本館や三井本館、日本橋三越本店本館、髙島屋日本橋店本館といった重要文化財に指定されている建築物が数多く集積している。
江戸時代には日本橋は五街道の起点として江戸における交通・物流の要所であった。その名残で現在でも道路標識における東京までの距離計算の起点は、日本国道路元標が設置されている日本橋(橋梁)となっている。
※Wikipediaより
日本橋三越本店の正面。「三越呉服店」の暖簾が歴史と心意気を示しています。
歴史を感じるエレベーター。大理石の壁も重みを感じます。
本館と新館をつなぐ通路から通りを見下ろす。山本海苔店の看板も目を惹きます。日本橋には老舗のすべてがあるんですね。
三越本店を離れて日本橋を渡ったところに榮太郎本店を発見。
徳川家康に用いられた三浦按針の屋敷跡も日本橋付近にあります。
日本橋で天ぷらにしゃれ込もうということで1時間ほど並んで天ぷらを頂きました。
日本橋の際にある元標の広場で、少しお勉強をしてみました。
道路元標(どうろげんぴょう)は、道路の起終点を示す標識である。
日本の道路元標が国によって定められたのは、里程調査のための明治時代初期のものと、大正の旧・道路法施行令公布の時のものと、二つの時期にわたって道路に設置されたものがある。正確には、大正時代に設けられたものが「道路元標」とよばれるもので、明治時代に設けられたものは里程元標(りていげんぴょう)といい、大正期の道路元標の前身となるものである。これ以外に現在、一般国道などの起終点などで見ることが出来る道路元標は、昭和時代の太平洋戦争後に設置されたもので、その設置基準については法的な根拠はなく、道路の付属物の扱いで記念碑的なものとして建てられたものである。特によく知られるものに、東京・日本橋に設置された「日本国道路元標」があり、主要国道7路線の起点標にもなっている。
かつて日本の中心は都(京都)にあったが、1600年の関ヶ原の戦い以降、江戸幕府を開いた徳川家康が江戸の日本橋を中心に五街道の整備に着手した。256年にも及んだ徳川幕府の中心地である江戸は、明治新政府の時代になって東京と名を変えても政治の中心地はそのまま東京に置かれた。明治政府が行った道路の整備については、江戸時代に整備された街道を中心に行われ、旧道路法(1919年4月 – 1952年5月)で、東京を中心に当時の府県庁所在地や旧帝国陸海軍の師団司令部所在地などを結ぶ道路が国道に指定され、道路元標も設置された。現行の道路法に改正されてからは道路元標の法的根拠はなくなったが、日本の道路の中心地のシンボルとして、日本国道路元標が日本橋の中央に設置されている。
※Wikipediaより
これぞ日本橋。左奥には日本橋三越本店。将来は高速道路がなくなって景色が全然変わるんでしょうね。
暗くなったので、三越本店の裏側に行ってみました。ここは桜の名所になっています。
今回は日本橋周辺の散策をしてみました。
いつでも行けると思っていると、いつまでも行けない。
たまにはそんな場所へも足を運んでみませんか?
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