まいどはやです。
令和6年4月10日(水)の夕方、日比谷公園に行ってきました。
これまでも何度か日比谷公園周辺を通ってはいましたが、中に入ってみたこともなく、今回が初めてとなりました。
日比谷公園の位置
日比谷公園は千代田区の皇居近くにあり、有楽町駅などから歩いても行けます。
今回はクルマでの移動でしたので日比谷公園の駐車場に駐めました。
日比谷公園の由緒
日比谷公園(ひびやこうえん)は、江戸幕府初代 征夷大将軍,徳川家康が初めて豊臣秀吉の遺言に背いて大名同士の結婚(軍事同盟)を結んだ、家康が豊臣氏から政権を奪う際の最大の同盟相手である、仙台藩初代藩主,伊達政宗の自宅の跡、江戸,仙台藩上屋敷跡,およびその跡地に造られた東京都千代田区に所在する公園、および同公園を町域とする千代田区の町名である。郵便番号は100-0012。伊達政宗の江戸,仙台藩上屋敷は日比谷公園北側一帯の,現在の皇居(旧,江戸城)の南側の堀, 日比谷濠沿い(皇居の南隣)にあった。日比谷公園の江戸,仙台藩上屋敷跡の斜め隣(皇居の東角隣の堀である)日比谷濠沿い(皇居の南東隣)には第一生命保険本社DNタワー21があり、かつてこの皇居を見下ろすビルは、第二次世界大戦で日本に勝利し日本を占領した GHQ(連合国軍最高司令官総司令部, 司令官アメリカ軍ダグラス・マッカーサー元帥)の本部にされていた。日比谷公園と同じ皇居の南隣は、法務省や総務省等がある霞が関(一丁目)で、霞が関の西隣は自民党本部や国会議事堂や日本政府の省庁が立ち並ぶ永田町で、日比谷公園の西隣一帯は日本政府の中枢機関が存在する地区となっている。日比谷公園の北隣にある江戸城(現,皇居)が居城だった徳川家康は、江戸の町づくりをした際に仙台藩主,伊達からの攻撃を怖れ、仙台方面の江戸城北部にある丘陵地帯を大規模工事で改造して仙台方面からの攻撃に備え、伊達政宗(仙台藩)を仮想敵国とした江戸の町づくりを行った。参勤交代で1年おきに江戸で暮らした政宗は、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の歴代3人の将軍から自宅,仙台藩邸上屋敷への訪問を受け、死去する際も家康の孫,徳川家光が政宗の自宅に見舞いをしに訪れ、政宗は江戸,仙台藩上屋敷(現,日比谷公園)で死んだ。日比谷公園は、公園としては日本初の近代的洋風公園である[1]。東京都建設局が所管する都立公園であり、京都公園協会に管理を委託している。2007年(平成19年)には景観法の景観重要公共施設(景観重要都市公園)に指定された。
Wikipediaより
日比谷公園を散策
到着が夕暮れとなってしまいましたが、それはそれで楽しめました。
公園の南側が工事中で入れなかったのが残念でした。
日比谷公園の駐車場から地上に出ると帝国ホテルがあります。さすがに宿泊の経験はありませんが、ランチバイキングを奮発したことはあります。
こちらが日比谷花壇の日比谷公園本店です。
1950年に出店した日比谷公園本店、戦後復興計画の一貫として出店された歴史ある店舗
日比谷花壇のHPから
日比谷公園本店は、“戦後復興計画の一環として、市民の憩いの場である公園に、海外の例に習ってフラワーショップを”という当時の東京都知事からの要請を受け、1950年に出店しました。その時に東京都から指定された店名が日比谷花壇でした。そして同年12月、社名を『株式会社日比谷花壇』へと変更し、日比谷花壇の歴史が始まりました。
日比谷公園のシンボルの一つである噴水です。都会の真ん中とは思えない雰囲気です。テレビの撮影場所としても有名ですね。
こちらもシンボルの一つ松本楼。以外とリーズナブルで驚きました。
明治36年、日本ではじめての洋式公園として誕生した日比谷公園。時を同じくしてオープンした日比谷松本楼は、当時流行していたマンサード屋根の3階建て。おしゃれな店として評判を呼び、ハイカラ好きなモボやモガのあいだでは「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」ことが大流行しました。
松本楼のHPから
明治時代の文芸活動「パンの会」第1回会合が松本楼で開かれ、若き詩人や美術家たちが集まりました。また夏目漱石や『智恵子抄』の高村光太郎をはじめとする多くの文人の憩いの場所となり、彼らの詩や小説の舞台としても反映されています。
伊達政宗終焉の地と掲示されています。日比谷公園の北側にひっそりと建てられた由緒書き。仙台市が立てたというのが趣深いです。
心字池ごしに帝国ホテル方面を見る。夕方の日比谷公園もなかなか素敵ですね。
またの機会を楽しみに
今回は時間と工事の関係もあって、日比谷公園の北側半分だけを散策しました。
またの機会に公会堂や大音楽堂も観てみたいと思います。
日比谷公園の駐車場は帝国ホテル側の道路から入れます。平日の夕方なので空いていましたが、皇居をランニングする方が駐車している感じでした。
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