弘道館は、茨城県水戸市にある藩校であり、日本遺産にも登録されています。
弘道館の歴史と創設
弘道館は、1841年に水戸藩第9代藩主である徳川斉昭公によって創設されました。斉昭公は、教育を通じて国を興すという建学の精神の下、儒学教育を礎に文武を磨く教育機関として弘道館を設立しました。この施設は、日本最大規模の藩校として、幅広い分野の武士教育を提供しました。
弘道館を歩く
弘道館の前に駐車場があります。13台くらいまでは無料だとか?
行った日には梅まつりで臨時駐車場がありましたが小雨の寒い日だったためか無料駐車場に止めることができました。
駐車場から入口に向かうところに「徳川慶喜向学の地」と書かれた石碑がありました。(下の写真)
いよいよ弘道館に入っていきます。(下の写真)
正門の柱には弾痕がはっきりついています。(下の写真)
弘道館も東日本大震災では大きな被害を受けたようです。(下の写真)
正門の右側に弘道館の見学受付があります。(下の写真)
弘道館の周辺は梅でいっぱいです。(下の写真)
弘道館の建物に入ると徳川斉昭の書があります。「尊攘」とは尊王攘夷の略です。
【尊攘】水戸藩尊攘運動
茨城県立歴史館HP
尊攘(尊王攘夷)運動は,近世末期における幕藩体制の矛盾の激化と対外危機のなかで起こった政治運動の大きな潮流です。その先駆けとなった水戸藩では,藩の指導層から下層農民にいたるまで,数多くの人々がこの運動に参加していきました。「桜田門外の変」「天狗党事件」等々,運動が激化するなかで,水戸藩は全国の尊攘運動の指導的役割を果たしましたが,内部抗争から脱落,やがて薩摩藩・長州藩の討幕派が運動の主導権を掌握することになりました。
扁額には「游於藝」と掲げられています。徳川斉昭の思想が分かりますね。(下の写真)
至善堂です。ここは徳川慶喜が将軍辞職後に恭順の意を示しながら朝廷の命を待った場所です。(下の写真)
水戸家と言えば水戸黄門が有名ですが、あらためてこの略譜を見ると系譜がよく分かります。(下の写真)
徳川光圀(水戸黄門)は、水戸藩第2代藩主であり、水戸藩の基礎を築いた名君です。彼の影響で、弘道館は「一張一弛」の思想に基づいて造られました。
徳川斉昭は、教育を通じて国を興すという建学の精神の下、儒学教育を礎に文武を磨く教育機関として弘道館を設立しました。この施設は、日本最大規模の藩校として、幅広い分野の武士教育を提供しました。
徳川慶喜は、第15代将軍であり、幼少期から弘道館で英才教育を受けました。彼は大政奉還後、謹慎生活を至善堂で送りました。
徳川光圀は水戸黄門で有名ですが、「大日本史」の編纂者としても有名です。(下の写真)
徳川将軍家と水戸徳川家の系図です。光圀は家康の孫なんですね。(下の写真)
鹿島神社
弘道館の裏手に鹿島神社があります。(下の写真)
お社の脇にある八卦堂。(下の写真)
鹿島神社のお社です。(下の写真)
水戸城跡と水戸城大手門
水戸駅
感想
今回は弘道館周辺を訪ねてみました。
大河ドラマの青天を衝けで弘道館に興味を持ち、ようやく今回訪ねることができました。
弘道館は、水戸藩の第九代藩主である徳川斉昭によって建てられた藩校です。この教育機関は、幕末の激動期に、武芸から学問まで幅広い分野を教え、人材育成を目指していました。弘道館は、尊攘の思想や徳川家の家紋を持つ畳の文様など、日本の文化と伝統を知るための重要な場所となっています。
この藩校は、武術と学問の両面で教育を行い、学生たちは剣術や槍、柔術、兵法、天文学、数学、和歌、音楽、医学などを学びました。弘道館は、幕末の日本の未来を切り開くための場所であり、その歴史的背景と価値は訪れる価値があります。
弘道館は、日本の歴史と文化に興味を持つ方にとって、必見の観光スポットだと思います。
コメント