三が日に伊勢神宮へお詣りしました。赤福餅は長蛇の列。五十鈴川で心が洗われた。

まいどはやです。

「三が日に伊勢神宮へ訪れました」

伊勢神宮は名古屋から約1時間半ほどでアクセスできます。三が日は交通規制などがあるため心配する人も多いと思いますが、パークライドなどの方法はとらず、正攻法をとり、スムーズにお参りすることができました。

伊勢神宮は美しい庭園や建物、古い歴史などが楽しめます。また、多くの人々が平和や安らぎを求めに訪れる聖なる場所です。訪れる機会がありましたら、ぜひお参りください。

伊勢神宮(いせじんぐう)は、日本の三重県伊勢市にある神社。正式名称は地名(伊勢)を冠しない「神宮」(じんぐう)であり、他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称される。

「伊勢の神宮」、または親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。古来、最高の特別格の宮とされ、現在は神社本庁の本宗(ほんそう。全ての神社の上に立つ神社)であり、「日本国民の総氏神」とされる。

律令国家体制における神祇体系のうちで最高位を占め、平安時代には二十二社の中の更に上七社の1社となった。また、神階が授与されたことのない神社の一つ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

概要
伊勢神宮には天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ。天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。

広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。

他の多くの神社は仏教建築の影響を受け、瓦屋根や朱塗りの建物に変わっていったが、伊勢神宮は神明造という古代の建築様式を受け継いでいる。これは弥生時代の高床倉庫が起源で、神へのお供え物をする特別な建物だったといわれている。また、式年遷宮が20年に一度行われる(後述)。この他、近世以前には、仏教用語を用いない「忌詞」の制度や、僧尼の立ち入りを制限する「僧尼遥拝所」が存在し、神宮寺も早期に廃止されるなど、伊勢神宮では仏法禁忌が比較的維持され、祭儀が一定程度古儀のまま継承された。

伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強い。神宮の神体である八咫鏡は、宮中三殿の賢所に祀られる御鏡と一体不可分の関係とされ、神宮祭祀と宮中祭祀は一体性をもって行われてきた。また、南北朝時代に途絶するまで、未婚の皇女が宮中から派遣され、神宮に奉仕する斎宮の制度が設けられていた。現代でも天皇・皇后が参拝するほか、神宮の神嘗祭に際しては毎年天皇から勅使が派遣され、神宮の祭主を元皇族の女性が務めるなど、天皇と神宮の繋がりは深い。

また、伊勢神宮は公的性格が強く、古代には国家全体の神として天皇による公的祭祀が行われ、個々人が私的な幣帛を奉る行為は禁止されていた。このため、創建以来一貫して、朝廷、幕府、明治政府といった歴史上の政府により、国家的な管理・維持が行なわれてきた。第二次世界大戦後に、伊勢神宮は国家の管理から離れ、法的には一宗教法人となったが、現代においても内閣総理大臣及び農林水産大臣などが年始に参拝することが慣例となっている。

中世以降は、このような天皇の祖神としての性格や公的な性格に加え、「国家の総鎮守」として庶民を含むあらゆる階層から信仰を集め膨大な数の参拝者を生むようになり、とりわけ江戸時代には短期間で数百万人が参拝する「お蔭参り」が生じるなど、伊勢神宮は日本の信仰の中心地となった。

現在の祭主は黒田清子(第125代天皇明仁第1皇女子、第126代天皇徳仁妹)、大宮司は久邇朝尊。

祭神
主祭神は以下の2柱。

皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) – 一般には天照大御神として知られる。

豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)

※Wikipediaより

【伊勢神宮 – 内宮と外宮を順に巡る】

伊勢神宮は狭義に捉えると、内宮と外宮の2つからなります。お参りの際には、外宮から内宮へと順に巡るのが習わしとされています。

内宮は建物が美しく、古い歴史を感じさせる空間です。また、外宮は美しい庭園が楽しめます。このように内宮と外宮は、それぞれ異なる魅力があります。

また、伊勢神宮は多くの人々が平和や安らぎを求めに訪れる聖なる場所としても知られています。伊勢神宮への訪れは、心と体に良い影響を与えること間違いなしです。是非、内宮と外宮を順に巡ってみてください。

【外宮】

外宮の入り口の掲示板です。外宮は左側通行が基本だそうです。これは、伊勢神宮に縁ある信仰や文化に基づいているからです。

左側通行は、右側を神様、左側を人間とされているとされています。そのため、左側から神様へ向かって進むことが基本とされています。また、右側から進むことは、左側に対する不敬の意味合いがあるとも考えられています。

外宮を訪れる際には、左側通行が基本となっていることを順守することが大切です。信仰や文化に敬意を払いながら、外宮を楽しんでいただけることでしょう。

「外宮の神馬」

伊勢神宮の外宮には、神々しい雰囲気を醸す神馬が展示されています。この神馬は、神社の祭りや行事に用いられることがあり、また、神聖な場所であることを示す象徴ともなっています。

外宮に訪れる人たちからは、神馬を見て神々しいという声が聞かれます。写真を撮る人も多く、神馬の存在感から抜群の美しさを楽しんでいる人が多いようです。

神馬は伊勢神宮の代表的な存在となっており、その歴史や伝統を知ることで、伊勢神宮の魅力を深く理解することができます。また、外宮に訪れる際には、神馬を見て美しい雰囲気を楽しんでいただけることでしょう。

神宮式年遷宮によりつぎにお社が移される場所です。

神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮、すなわち定期的に行われる遷宮のことである。延引された時期も歴史上あったが、20年ごととされている。

概要

第62回式年遷宮に伴い建てられた外宮別宮多賀宮の新旧社殿(2013年)

外宮(豊受大神宮)摂社清野井庭神社の遷宮当日の様子(2017年)
原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の2つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、714種1576点の御装束神宝(装束や須賀利御太刀等の神宝)、宇治橋なども造り替えられる。

記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、2013年の第62回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。

2005年から第62回式年遷宮の各行事が進行し、2009年に主要な行事である内宮に係る「宇治渡始式」が、2013年には正遷宮(神体の渡御)が斎行された。神宮司庁によると、2013年までの各行事を含む第62回式年遷宮全体の費用は、建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円と公表。このうち、330億円が伊勢神宮の自己資金で、220億円が寄付で賄われた。

意義

1953年10月5日に行われた外宮遷御の儀(史上初めて写真撮影が許可された)

2013年の式年遷宮による外宮旧社殿(2014年3月撮影)
式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているためである。塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。

漆を木の塗装に用いるのは縄文時代から見られ、式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃には、既に礎石を用いる建築技術も確立されていた。現に、この時代に創建(または再建)された法隆寺の堂宇は、世界最古の木造建築としての姿を今に伝えている。

2013年の式年遷宮広報本部は、式年遷宮を行なう理由として、神の勢いを瑞々しく保つ「常若(とこわか)の思想」があると説明している。『延喜式』にも記された20年という間隔の由来については、式年遷宮記念せんぐう館の小堀邦夫館長が糒(ほしい)の貯蔵年限が20年だったことを挙げているほか、20が聖なる数とされていたという見解、古代の暦法、宮大工や神宝職人の技術伝承など諸説ある。

※Wikipediaより

【内宮】

内宮の入り口にある案内図です。内宮は右側通行が基本だそうです。

内宮入り口には鳥居があります。この鳥居は、伊勢神宮の聖域に入るための入り口となっています。内宮に入るためには、鳥居をくぐることが必要となります。

この鳥居の前には多くの人が集まり、写真を撮っている人もいます。人がいない写真は撮れませんでしたが、伊勢神宮の雰囲気を楽しむことができました。

内宮に入ってからは、奥に向かって進みます。奥には、神社の本殿や社務所などがあり、神聖な気分に浸ることができます。

鳥居を超えた先には、宇治橋があります。宇治橋を渡りながら、五十鈴川を眺めることができます。

五十鈴川は、伊勢神宮周辺にある清流です。川の流れは穏やかで、周囲には静かな森が広がります。川を眺めながら、心を落ち着かせ、穏やかな気分に浸ることができます。

宇治橋を渡りながら、五十鈴川の景色を楽しんでいただけると、伊勢神宮の聖なる雰囲気をより一層深めることができます。伊勢神宮に訪れる際には、五十鈴川を眺めながらのお参りもお勧めですね。

内宮のお社は、荘厳な雰囲気が漂い、また、聖なる空気感が漂っています。ここに立つと、神々しい力を感じ、また、安らぎを感じることができます。

内宮のお社は、信仰心を持って訪れる人々にとっては聖なる場所ですが、また、観光客にとっては見所としての魅力もあります。内宮のお社をお参りすることで、よい思い出が作れました。

ちなみに石段の下からの撮影はOKです。一段でも上ったら撮影禁止とアナウンスがありましたのでご注意ください。

【おはらい町・おかげ横丁】

内宮の門前町は「おはらい町」と呼ばれています。この中心に「おかげ横丁」があり、その真ん中には「赤福本店」があります。「おかげ横丁」は伊勢神宮の門前町で有名な商店街です。ここでは、伊勢のお土産や、神社に捧げる供え物などが販売されています。「赤福本店」はこの中でも有名なお土産店で、歴史ある商品や伊勢特産の「赤福」と呼ばれるものなどを販売しています。「おはらい町」は伊勢神宮に参拝する人々にとって重要な場所で、伊勢の文化や歴史を感じることができる素晴らしい場所です。

おかげ横丁(おかげよこちょう)は、三重県伊勢市の伊勢神宮皇大神宮(内宮)前にあるお蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の鳥居前町の町並みを再現した観光地である。運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である株式会社伊勢福が行う。 おはらい町の中ほどにあり、伊勢志摩を代表する観光地となっている。

概要

赤福社長であった濱田益嗣の指揮の下、当時の赤福の年商に匹敵する約140億円をかけて1993年(平成5年)に完成した「小さな町」である。伊勢特有の町並みである妻入の建物や伊勢河崎の蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築した28の建造物群が並ぶ。お蔭参りで賑わった頃の町並みという統一したテーマの元で造られているが、おはらい町との間に門などの仕切りはなく入場料を徴収しないため、テーマパークではない。おかげ横丁とおはらい町の境界は分かりにくく、名称が類似しているせいか両者を混同するケースもある。

伊勢志摩の特産物や土産を扱う物販店を中心に49店が営業している。2019年2月現在、直営店舗31店、委託店舗18店である。

設計・施工:清水建設、竹中工務店
営業時間:9時30分 – 17時(JST、季節による変動あり)
年中無休、入場自体は24時間可能。
入場料:無料

※Wikipediaより

赤福本店は伊勢神宮内宮門前町の中心に位置する店舗です。訪れた人たちからは多くの記念撮影がされていました。この店舗は、伊勢神宮の歴史や文化に触れることができる場所として、多くの観光客に利用されています。伊勢神宮を訪れた際は、赤福本店も必見スポットの一つとして押さえておきたいところです。

“おかげ横丁”は内宮の門前町「おはらい町」の中心地に位置する通りです。周辺は賑わいと楽しい雰囲気にあふれています。店舗が立ち並ぶ通りは、お参りに来た人々が過ごすのに最適な場所となっています。また、記念撮影やお土産を買うためにも人々が集まっています。「おかげ横丁」は、伊勢神宮にお参りする際に是非訪れてみたい場所ですね。

“おはらい町”を一本入ると、五十鈴川沿いの道が空いているのが驚きです。ここでは、小腹を満たすために多くのお土産屋やレストランが立ち並んでいます。神社に参拝した後に、少し時間をとって周辺を散発することをおすすめします。

時節柄、感染対策をしながらいただくには五十鈴川沿いに出てからをオススメします。景色もいいしね。

五十鈴川の様子です。心が洗われますね。

今回は伊勢神宮参拝について書きました。

伊勢神宮への参拝は、関東からすると遠く感じますが、名古屋に行く機会がある方は是非ともお参りに行くことをお勧めします。今回は名古屋に用事があったため、翌日に伊勢神宮へと回ることができました。

伊勢神宮は、外宮と内宮の二つに分かれており、内宮には「おはらい町」と呼ばれる門前町があります。

特にその中心にある「おかげ横丁」では、記念撮影をされる方も多くいらっしゃいました。また、川沿いの道も広がっていて、お土産なども購入することができます。

今回はお正月の時期だったため、お祭りのような雰囲気も味わえました。ぜひ、伊勢神宮へと参拝する機会があった際には、訪れてみてはいかがでしょうか。







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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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