まいどはやです。
今回は次のニュース記事を読んで考えさせられたことについてコメントを書いてみたいと思います。
授業中に鍋? ~ さすがに賛否
大学の授業中に鍋を囲む学生たち――まるで驚きのシーンが、大阪公立大学の教授、増田聡さんの許可のもと、SNS上で話題となりました。一方で、この斬新な取り組みに対しては、賛否両論が渦巻いています。成人としての分別、与えられた規律から自ら貸す規律、そして常識にとらわれない思考――これらの要素が交錯する新たな大学教育の光景について、考察してみましょう。
「迷惑をかけなければ何をやってもいいよ」という自由度の高いスタンス
まず、増田教授の授業中に鍋を許可する理由には、「迷惑をかけなければ何をやってもいいよ」という自由度の高いスタンスがあります。成人としての分別が求められ、他者に迷惑をかけない限り、学生たちは自分のやりたいことを行うことができるという柔軟性が大学教育において強調されています。これは学生たちにとって、単なる知識の受け手ではなく、自己判断力を養う場である大学環境の新しい一面を示唆しています。
次に、与えられた規律から自ら課す規律の概念が浮かび上がります。増田教授は学生たちに、「他の受講生に迷惑をかけないように」という条件を伝え、学生たちはそれに従って授業中に鍋を囲むことを実現しました。ここでの重要なポイントは、教授からの指示に従いつつも、学生たちが自らの判断で適切なルールを定め、それに基づいて行動したことです。これは大学生活において、自律的な行動や協力の重要性を実践的に理解させる一環と言えるでしょう。
最後に、常識にとらわれない思考が大学教育において重要視された瞬間でもあります。教育の場である大学は、単なる知識の吸収だけでなく、異なるアプローチや発想を育む場でもあります。増田教授が授業中の鍋を許可することで、学生たちは従来の「ありきたりな授業」にとらわれず、自らの発想やアイディアを尊重されることを経験しました。これは将来社会で求められる柔軟性や創造性を育む一環として捉えられるでしょう。
どうなんだろう?
結論として、大学教育の新しい光景には「成人としての分別」「与えられた規律から自ら貸す規律」「常識にとらわれない思考」といった価値観が交錯しています。これは単なる授業中の鍋の許可だけでなく、大学が提供する教育環境が、学生たちに対してより自己責任を重んじ、柔軟性と創造性を育む場であるべきだとの新たな示唆を与えています。
しかし個人的には、「他の人に迷惑をかけないように」という条件は最低限のルールであり、授業中に鍋なんてやったら、匂いや音、雰囲気等々、気が散ったりしてやっぱり迷惑なんじゃないかと思っちゃうなぁ。

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