時を越えて愛される白亜の天守――郡上八幡城が語る「再建の絆」と「天空の絶景」

岐阜県郡上市八幡町。奥美濃の山々に囲まれ、清流長良川と吉田川のせせらぎが響くこの地に、一際美しくそびえ立つ城があります。「郡上八幡城」は、昭和8年(1933年)に建てられた、日本最古の木造再建城として知られています。戦国時代から続く歴史の重みと、昭和の時代に未来へのシンボルとして城を蘇らせた人々の想いが交差する、この城の奥深いストーリーを紐解いてみましょう。

1. 昭和の熱意が築いた「日本最古の木造再建天守」

郡上八幡城の起源は、永禄2年(1559年)に遠藤盛数が砦を築いたことに始まります。明治維新の動乱により建物は一度すべて取り壊され、長く石垣だけが残されていました。しかし、昭和に入り「未来に伝わる郡上八幡のシンボル」を求める声が高まります。

特筆すべきは、当時の再建が現在のような鉄筋コンクリート造ではなく、あえて「木造」にこだわって行われた点です。昭和7年から始まった建設事業は、国宝(当時)の大垣城をモデルに設計されました。行政資料によると、建設費の総額は約8,500円で、当時の町の財政規模を考えれば非常に大きなプロジェクトでした。驚くべきことに、その費用のかなりの部分が、遠方の縁者や町民たちからの寄附、そして祝賀会への協賛金で賄われました。落成祝賀会では、全国的に著名な吉田初三郎に5,000部の鳥瞰図を発注するなど、町を挙げてこの「新しいお城」を祝った記録が残っています。

2. 歴史に彩られた伝説と人々

郡上八幡城は、戦国時代の「野面積み」の石垣を今に伝えています。これは、稲葉貞通が大改修を行った際に整備されたものが起源とされ、荒々しくも美しい自然石の表情が歴史ファンを魅了します。

また、この城は山内一豊の功績を支えた賢夫人「千代」のゆかりの地でもあります。彼女は初代城主・遠藤盛数の娘であるという説が有力で、城内には現代にも通じる「賢妻の心得」が展示されています。一方で、城の土台には悲しい伝説もあります。石垣の崩壊や工事の難航を止めるために「お城の守り神になる」と言い残して人柱となった、17歳の美しい娘「およし」の物語です。彼女の霊を祀る観音堂は、今も天守閣前で静かに城を見守っています。

幕末には、17歳の朝比奈茂吉を隊長とする**「凌霜隊(りそうたい)」**が結成されました。彼らは郡上藩士として幕府側に立ち、会津若松城の籠城戦では白虎隊と共に戦ったという誇り高い歴史を持っています。

3. 「天空の城」と「天守炎上」の絶景

現代の郡上八幡城を語る上で欠かせないのが、自然が見せる奇跡の瞬間です。10月から4月頃にかけて、前日との気温差が大きく風の少ない晴天の早朝、城下町を深い霧が覆います。標高354メートルの山頂に立つ白亜の天守が雲の上に浮かび上がるその姿は、まさに「天空の城」と呼ぶにふさわしい幻想的な光景です。

また、秋の深まりとともに城内を染め上げる「もみじ」も見事です。城内の植樹のほとんどがモミジであるため、11月中旬には燃えるような紅葉が白壁を包み込みます。この景色は「天守炎上」と例えられ、全国から写真愛好家が集まる絶景スポットとなります。天守閣から見下ろせば、城下町が「魚の形」をしている様子も確認でき、水の町・郡上らしい風景を楽しむことができます。

4. 旅の思い出を刻む「御城印」と学び

近年、郡上八幡城を訪れる観光客の楽しみとなっているのが、2016年から発行されている**「御城印」**です。郡上八幡城は全国的な御城印ブームの火付け役の一つと言われ、地元の伝統工芸品である「美濃和紙」を使用し、歴代城主の家紋を一枚一枚手押しするこだわり抜いた逸品です。売上の一部は、同じく城を愛する仲間として熊本城の復興支援などにも活用されています。

かつて大正時代、郡上の教員たちは「郷土研究」に熱を出し、自らの手で独自の「郷土読本」を作り上げました。そこには、自分たちの住む場所を深く知り、愛そうとする強い意志がありました。昭和の再建から現代の保存活動に至るまで、郡上八幡城は常に、地域の人々の「誇り」の象徴として存在し続けています。

四季折々の表情を見せる日本一美しい山城、郡上八幡城。 木造天守の床を鳴らしながら、あなたも数百年続く歴史の息吹を感じてみませんか?

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

コメント

コメントする

目次