はじめに:1975年1月の衝撃
1975年1月、アメリカの電子工学雑誌『Popular Electronics』の表紙に、一つのキットが掲載されました,。「Altair 8800」439ドル。それまで企業や大学の専用施設にしか存在しなかったコンピュータを、一般個人が「自室」に持てる時代を切り開いた、いわば「パーソナルコンピュータ元年」の主役です。
Altair 8800とはどのようなマシンだったのか
Altair 8800は、Intel 8080Aプロセッサ(2 MHz)を搭載した組み立て式のコンピュータキットでした,。標準メモリはわずか256バイト、ディスプレイもキーボードもなく、操作はフロントパネルに並ぶ16本のトグルスイッチでバイナリ(2進数)を「手打ち」し、16個のLEDの点滅で状態を確認するという極めて原始的なものでした。
しかし、このマシンには「S-100バス」と呼ばれる拡張機能が備わっていました。これにより、周辺機器市場やフォーク文化が醸成され、後にIEEE-696として標準化されるなど、現代のPCエコシステムの原型となりました,。
「Micro-Soft」の誕生と伝説のBASIC
このAltair 8800の登場に、誰よりも早く反応したのがビル・ゲイツとポール・アレンでした。彼らは実機も持っていないうちから、MITS社の創業者エド・ロバーツに対し「Altair向けのBASICインタプリタがある」という**「観測気球(ホワイト・ライ)」**を投げかけました,,。
ロバーツがデモに同意すると、二人はハーバード大学のPDP-10上でAltairのエミュレータを作成し、不眠不休で開発に取りかかります,。デモ当日、ポール・アレンがMITS社のあるアルバカーキへ向かう飛行機の中で、紙テープからプログラムを読み込むための「ブートストラッププログラム」を書き忘れたことに気づき、着陸直前の機内で書き上げたというエピソードは、今やIT界の伝説となっています,,。
このAltair BASICこそが、1975年4月に設立された**「Micro-Soft」の最初の製品**であり、ソフトウェアに価値があることを世に知らしめるきっかけとなりました,。
コミュニティの熱狂と「公開書簡」
Altair 8800は、カリフォルニアの「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」などのホビイスト文化を刺激しました,。ユーザ同士で回路図やソースコードを交換する中で、後にスティーブ・ウォズニアックがApple Iを構想するなど、次々とイノベーションの連鎖が起きました,。
一方で、ソフトウェアをコピーして共有する文化に対し、ビル・ゲイツは1976年に**「ホビイストたちへの公開書簡(Open Letter to Hobbyists)」**を発表します,。彼は「ソフトウェアをコピーすることは窃盗だ」と強く主張し、ソフトウェア著作権という概念の萌芽を生み出しました,。これは、当時の「ハードは有料だがソフトは共有するもの」という常識を覆す宣言でした。
50年後のレガシー
2025年、Microsoftは創業50周年を迎えました。ビル・ゲイツはこの記念すべき年に、自身のブログでAltair BASICのソースコードを公開し、当時を「楽しい挑戦だった」と回想しています,,。
Altair 8800から始まった「キット→完成品→互換機→オープンプラットフォーム」という流れは、IBM PCを経て現代のラップトップやデスクトップへと続いています。かつてガレージから始まった趣味の延長が、今や数兆ドル規模の産業へと成長したのです。

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