1980年代、日本のパーソナルコンピュータ市場は熱狂の渦中にありました。その中心にいたのが、1982年11月8日に富士通から発売された8ビットパソコン**「FM-7(FUJITSU MICRO 7)」**です。先行するNECやシャープに挑み、富士通を「パソコン御三家」の一角へと一気に押し上げたこの名機について、提供された資料をもとにその魅力と歴史を振り返ります。
1. 破壊的な価格設定と戦略的な登場
FM-7は、1981年に発売された高機能機「FM-8」の廉価版後継機種として開発されました。開発時の名称は「FM-8Jr.(ジュニア)」であり、実質的にはFM-8の性能を向上させつつ、大幅なコストダウンを図ったモデルです。
最大の衝撃はその価格でした。当時の競合機であるNEC PC-8801が228,000円だったのに対し、FM-7は126,000円という戦略的な価格で登場しました。この「高性能でありながら低価格」という路線は、当時の学生を中心とした若年層に爆発的なヒットを記録し、出荷台数は22万台に達しました。イメージキャラクターにはタモリ氏が起用され、「青少年は興奮する」というキャッチコピーとともに、ホビーパソコンとしての地位を確立したのです。
2. 「2-CPU」がもたらした圧倒的なスペック
FM-7を語る上で欠かせないのが、その贅沢なアーキテクチャです。メインCPUと、グラフィック制御を専門に行うディスプレイサブシステム用のCPUとして、モトローラ社のMPU「68B09」を2つ搭載していました。
この「2-CPU構成」により、メインCPUが描画処理にリソースを割かれることなく計算に集中できるため、広大なVRAM領域を持ちながらも高速な処理が可能でした。
• グラフィックス:640×200ドットで8色の同時発色が可能。
• サウンド:PSG(3声)を標準搭載し、音楽演奏やゲーム効果音を実現。
• メモリ:メインRAM 64KB、VRAM 48KBを搭載。
また、ビスを1本も使わない筐体設計や、パレット機能を盛り込んだ専用LSIの開発など、富士通の半導体メーカーとしての技術力が結集されていました。
3. ホビー派を悩ませた「キーボード」の謎
高性能なFM-7でしたが、リアルタイム性の高いゲームを遊ぶユーザーにとっては「致命的」とも言える独特の仕様がありました。それは、キーボードのスキャンを専用CPUに任せていた影響で、BREAKキー以外のキーは「押された瞬間」しか認識できず、「離した瞬間」を検知できなかった点です。
このため、多くのアクションゲームでは「移動キーを押すと進み続け、テンキーの5などを押して停止する」という独特の操作体系が採用されました。しかし、この制約は逆に開発者のテクニックを刺激し、サブシステム側で直接プログラムを実行して描画を高速化するなどのノウハウが蓄積され、結果として多くの名作ゲームが生み出されることになりました。
4. 広がる資産とシリーズの継承
富士通は技術情報を積極的に公開し、専門誌『Oh!FM』などを通じてユーザーとの強固なコミュニティを形成しました。FM-7の成功はその後、3.5インチFDDを内蔵した「FM-77」や、4096色同時発色を実現した「総天然ショック」の「FM77AV」へと受け継がれていきます。
さらに、MSX規格に準拠しながらFM-7と連携可能な「FM-X」というユニークな派生モデルも登場しました。FM-7から始まったこの系譜は、1989年のハイパーメディアパソコン「FM TOWNS」が登場するまで、日本のホビーPC市場を牽引し続けました。
結び
FM-7は、単なる「安価なパソコン」ではありませんでした。それは、最先端の半導体技術を惜しみなく投入し、プロフェッショナルな設計思想を一般家庭に持ち込んだ**「知的なスポーツカー」**のような存在でした。当時の若者たちが画面に映し出される8色の鮮やかな世界に興奮し、必死にプログラムを打ち込んだ記憶は、今も日本のIT文化の根底に息づいています。
例えるなら、FM-7は**「高回転型のツインターボエンジンを積んだ大衆車」**のようなものです。操縦(キー入力)には独特のクセがありましたが、ひとたび乗りこなせば、同時代のライバルを置き去りにするほどの圧倒的な加速力を発揮したのです。

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