福島県白河市に位置する白河小峰城は、その美しい石垣と歴史的価値から「日本100名城」の一つに選ばれ、盛岡城、会津若松城と並んで東北三名城にも数えられています。今回は、この城が歩んだ波乱万丈の歴史と、現代に息づく見どころを詳しく解説します。
1. 小峰城の成り立ちと丹羽長重による大改修
小峰城の歴史は古く、南北朝時代の1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に城を築いたのが始まりとされています。その後、1627年に初代白河藩主として入封した丹羽長重によって、約4年の歳月をかけて総石垣の近代城郭へと大改修が行われました。
長重は「築城の名手」として知られ、江戸幕府から北の有力大名(伊達氏や上杉氏など)への備えとして、強固な城を築くよう命じられたといいます。彼は阿武隈川の流れを北側に付け替え、天然の堀として利用するなど、地形を最大限に活かした縄張りを構築しました。
2. 戊辰戦争の激戦と悲劇の落城
江戸時代を通じて白河藩の政治の中心であった小峰城ですが、幕末の1868年、**戊辰戦争(白河口の戦い)**において最大の悲劇に見舞われます。最新鋭の火器を持つ新政府軍に対し、旧幕府軍(奥羽越列藩同盟)は激しく抵抗しましたが、多勢に無勢もあり落城。この時の戦火によって、三重櫓をはじめとする城内の建造物の大半が焼失してしまいました。その後、明治時代の廃城令を経て、城内には石垣と水堀だけが残る姿となりました。
3. 「白河城御櫓絵図」が導いた奇跡の復元
小峰城が再び光を浴びたのは平成の時代です。1991年に三重櫓、1994年に前御門が復元されました。特筆すべきは、これらが日本初の本格的な木造復元天守級建築であるという点です。
この復元を可能にしたのが、名君として名高い松平定信が文化5年(1808年)に作成させた**「白河城御櫓絵図」**でした。この絵図には門や櫓の寸法が非常に詳細に記録されており、これに基づき伝統工法による忠実な再建が実現したのです。三重櫓の内部には、戊辰戦争の激戦地となった稲荷山の杉材が使われており、当時の弾痕が残る柱も見ることができます。
4. 震災を乗り越え、次世代へ繋ぐ石垣
2011年の東日本大震災では、小峰城も震度6強の揺れに見舞われ、本丸南側の石垣が10箇所にわたって崩落するという甚大な被害を受けました。しかし、白河市民の心の拠り所である城を守るため、大規模な復旧プロジェクトが始動します。
修復にあたっては、崩落した約7,000個の石を一つひとつ調査し、元の位置を特定して積み直すという気の遠くなるような作業が伝統的な工法で行われました。現在、石垣の多くは復旧しており、修復の過程そのものが市民や観光客に公開され、復興のシンボルとなりました。
5. 訪れたら見逃せない注目ポイント
• 三重櫓と前御門: 江戸時代の姿を忠実に再現した木造建築は、内部見学も可能です(無料)。
• 乙女桜: 本丸に咲く美しい桜ですが、築城の際に石垣が崩れるのを防ぐために人柱となった少女の悲しい伝説が残されています。
• 「鷹の目」石垣: 清水門近くにある、円を描くように積まれたユニークな石垣で、中心部が目のように見えるのが特徴です。
• 小峰城歴史館: 最新のVRシアターでは、江戸時代の小峰城内を歩いているような臨場感を体験でき、お城の構造を学ぶのに最適です。
白河小峰城は、単なる歴史的建造物ではなく、戦火や災害を乗り越えて何度も立ち上がってきた**「不滅の城」**です。ぜひ、その力強い石垣と、伝統を受け継ぐ美しい建築を現地で体感してみてください。
——————————————————————————–
(参考:小峰城を深く理解するための比喩) 小峰城の歴史を例えるなら、**「折れても再び接ぎ木され、より強く美しく咲き誇る古木」**のようなものです。一度は戦火で全てを失いながらも、先人が残した「絵図」という種から芽吹き、震災という嵐に耐えて、再び地域を象徴する大樹として根を張っています。

コメント