皆さん、こんにちは!あなたの知的好奇心をくすぐる時間です。
人類の歴史と神話の中で、最も謎めいた建造物の一つに「バベルの塔」があります。ピーテル・ブリューゲルが描いた、天まで届きそうな巨大な螺旋の塔の絵は、多くの人が一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
「人間が傲慢にも天まで届く塔を建てようとしたので、神が怒って塔を壊した」――。皆さんがよく耳にするのは、このような物語かもしれません。
しかし、実はこの一般的なイメージには、大きな誤解が含まれている可能性があります。聖書の記述、そして聖書以外の古代文献を紐解くと、この物語の「衝撃の真実」が見えてくるのです。
今回は、バベルの塔の物語に隠された本当の理由と、それが現代を生きる私たちに問いかける普遍的なテーマについて深掘りしていきましょう!
聖書が語る「バベルの塔」の真実とは?
バベルの塔の物語は、旧約聖書「創世記」第11章に記されています。これはノアの箱舟の物語の後、アブラハムの物語の前に位置しています。
物語によると、大洪水の後、人々は東から移動し、「シンアルの地」という平原に住み着きました。その頃、地上に住む人々は皆、同じ言葉、同じ言語を用いていました。言葉が通じるため、彼らの文明は非常に高度に発展したと言われています。
そこで人々はこう話し合います。
「さあ、私たち自身の町と、その頂が天に届くほどの塔を建てよう。そうして私たち自身のために名を上げ、全地に散らされることのないようにしよう」。
彼らは石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトを用いて建設を進めました。このレンガとアスファルトを使う建築方法は、メソポタミア地域でよく見られたものだそうです。
人々がこのような巨大な塔を建て始めた様子を、神は空から見ておられました。そして神は言います。
「見よ、彼らは一つの民で皆一つの言葉を話している。そしてこのようなことをし始めた。これでは彼らが何を企てても、それを妨げることはできなくなるだろう」。
そこで神は決断します。
「我々は下って行って、彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられないようにしてしまおう」。
その結果、人々は言葉が通じなくなり、意思疎通ができなくなりました。塔の建設は中断され、人々は言葉の通じる者同士で集まり、全地の様々な場所へ散り散りになっていったのです。この出来事から、その町は「バベル」と呼ばれるようになりました。ヘブライ語で「混乱」を意味する言葉に由来するとされています。
重要な点は、聖書、特に創世記の記述では、神が塔を物理的に破壊したとは書かれていないことです。代わりに、人々の言葉を混乱させ、互いに通じなくさせた結果、建設が中断され、人々が散り散りになったと記されているのです。
「塔の破壊」の物語はどこから来たのか?
では、なぜ「神が塔を破壊した」という話が広く伝わったのでしょうか?その謎を解く鍵は、聖書以外の古代の文献にあります。
- フラビウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』(紀元1世紀):
歴史家ヨセフスは、人々が神への復讐のために、水が届かないほどの高い塔を建てようと扇動したと記しています。彼は塔が非常に厚く頑丈で、アスファルトで固められていたと述べていますが、神は塔を壊さず、言葉を混乱させたことで、人間がこれ以上不遜な行いをできないようにしたとしています。 - 『ヨベル書』:
この別の偽典では、神が大風を送って塔を地面に倒したと明確に記されています。 - ラビの伝承:
ラビの伝承では、ニ室の王が神に挑戦するため、塔の頂上に剣を持って天を威嚇する像を立てたとも言われています。
これらの聖書以外の記述が組み合わさることで、神への傲慢な挑戦や、神による物理的な破壊という、よりドラマチックで一般的に知られるイメージが形成されていったと考えられます。神に復讐しようとしたり、剣で天を威嚇する像を立てたりといったエピソードは、物語にオカルト的、あるいは神話的な対決の要素を加えていったのですね。
バベルの塔が問いかける多様な教訓
バベルの塔の物語は、単なる古代の伝説ではありません。人類の様々な謎や教訓を含んでいます。
- 神が人々の団結を恐れた理由
聖書の記述からは、人々が一つになって何かを企てれば、何でもできてしまうという神の懸念が伺えます。また、神がノアとその子孫に「全地に散らばる」ことを命じた契約に対し、人々が一箇所に集まろうとしたことが「背反」だったのではないかという解釈もあります。 - 言語の多様性とコミュニケーションの重要性
言葉の混乱によって建設が中止されたことは、言語の多様性が生まれ、コミュニケーションがいかに重要であるかを示唆しています。 - 傲慢や技術の過信への戒め
人々が「自分たちのために名を上げよう」としたことや、石の代わりにレンガやアスファルトを用いたという記述からは、人間の傲慢さや自己過信が災いを招く可能性、あるいは技術の過信に対する戒めが語られているという解釈もあります。
実在したかもしれない「バベルの塔」の場所と、芸術作品が語る背景
この巨大な塔は一体どこに建てられたのでしょうか?
伝統的には、チグリス・ユーフラテス川周辺のメソポタミア地域、現在のイラクにある古代都市バビロンと関連付けられています。特に、バビロンに存在したエテメンアンキという神殿の基盤が、バベルの塔の跡ではないかという説が有力です。エテメンアンキは「天と地の基礎となる建物」という意味を持ち、ジッグラトと呼ばれる古代メソポタミアの階層状の建造物でした。
しかし、物語は神話とする説が支配的であり、その正確な場所は聖書からは特定されていません。
そして、バベルの塔を語る上で欠かせないのが、画家ピーテル・ブリューゲル一世の作品です。彼の代表作「大バベル」と「小バベル」は、皆さんもよくご存じでしょう。
彼の絵に描かれた塔が、実際のジッグラトのような四角い階層構造ではなく、螺旋状になっているのはなぜでしょうか?有力な説の一つは、ブリューゲル自身がイタリア滞在中に見たローマのコロッセオを参考にしたというものです。彼の絵の建築様式はコロッセオに似ていると言われています。
さらに興味深いのは、ブリューゲルや同時代の画家たちがバベルの塔を多く描いた背景です。ブリューゲルの時代(16世紀)のネーデルラント(現在のオランダ・ベルギーあたり)は、スペイン・ハプスブルクの支配下、宗教改革の嵐の中にあり、激動の時代でした。ローマのコロッセオに似た塔を描くことで、腐敗したカトリック教会や支配者への批判を暗示していたという見方もできるでしょう。
そして、この時代の多くのバベルの塔の絵に神が塔を破壊する場面が描かれていないという点も注目すべきです。これは当時の画家たちが、物語を単なる神話としてではなく、当時の社会情勢や人間の営みに対する警鐘として捉えていたのかもしれません。
現代を生きる私たちへのメッセージ
天を目指す巨大な建造物というバベルの塔のイメージは、現代のSF作品やゲーム、アニメにも影響を与え続けています。
人類が技術を発展させ、宇宙を目指す今、バベルの塔の物語が持つ意味を改めて考えることは、私たち自身の未来について考えることにもつながるのではないでしょうか。
人々が一つに集まって力を合わせ、天に届くような偉大なことを成し遂げたいという人間の衝動。それに対し、何らかの力が「多様性」という形で介入し、人々を散り散りにする。
もし、力を合わせすぎることで何か見えない力に阻まれる可能性があるとしたら、私たちはどう向き合えば良いのでしょう?
多様性を受け入れ、それぞれの場所でそれぞれの言葉で互いを尊重することこそが、この物語が示唆する現実的な対策なのかもしれません。バベルの塔は単なる過去の物語ではなく、私たち自身の姿を映し出す鏡なのかもしれません。

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