まいどはやです。
まずもって冒頭からなんですが、童謡「月の沙漠」、この「沙漠」を半世紀以上「砂漠」だと思っていました。
っていうか、ブログを書くたった今まで「砂漠」だと思っていました。
今回は何度か行ったことのある「月の沙漠記念館」に知人を連れて行ってブログを書いているのですが、この驚きの思い込みに自分自身びっくりしています。
「沙」の字について
この詩は異国を連想させる内容からか、また現在では「沙漠」という表記が一般的ではないことからか、しばしば「砂漠」と誤記されるが[注釈 4]、題名、詩文中ともに一貫して「沙」の字が用いられている。この字が用いられる理由として「沙」には「すなはま」の意味がある。
学生時代に結核を患った加藤が、保養のために訪れた御宿海岸(千葉県)の風景から発想した。
海岸の風景がモチーフになっており、海岸の砂はみずみずしいことから、「砂漠」ではなく「沙漠」としている。
というものが良く知られている。
さて、童謡「月の沙漠」をご存じでしょうか?
「月の沙漠を はるばると 旅の駱駝がゆきました ~」という童謡です。
幼い時からアラビアかどこかのことをうたっているのだと思い込んでいたのですが、その舞台が千葉県御宿の海岸だったとは驚きでした。
月の沙漠(つきのさばく)は、日本の画家、詩人である加藤まさをの作品の1つ。作曲家の佐々木すぐるによって曲を付けられ、童謡として有名になった。
「朧(おぼろ)にけぶる月の夜」の「沙漠」を、「駱駝」(らくだ)に乗った「王子様」と「お姫様」が旅していく情景を描写した作品である。
こちらが月の沙漠記念館。建物の真ん前に駐車場があります。入り口が小さくわかりづらいですが無料です。その手前に大きめの駐車スペースがありますが公園の有料駐車場です。500円だったと思います。
記念写真の撮影ポイント?
ほとんどの方は道路を渡った反対側にある公園に向かっていきます。
月の沙漠公園に足をすすめます。
行ってから毎回反省するのですが、確実に靴に砂が入ります。
靴下の仲間でも砂が入り、クルマが汚れます。
風が強ければ全身、特に髪の毛も砂まみれになります。
でも、一度は行きましょう!
この橋を渡ります。右側に駱駝の像が見えます。老若男女、とりあえずここで写真を撮っています。
橋から下を見たところ、たくさんの鯉が群れていました。すぐそこが海ですが、淡水魚の鯉がこういうところにいるのを何度も見ました。鯉って強いですね。
「月の沙漠」の作者、加藤まさを氏について書かれています。
モチーフとなった場所
「月の沙漠」のモチーフとなった砂浜については、以下の2説がある。千葉県夷隅郡御宿町の御宿海岸説
加藤は1923年(大正12年)に関東大震災が起こるまでの数年間、毎年夏、結核の療養のために御宿海岸を訪れていた。静岡県焼津市(旧大井川町)の吉永海岸説
加藤の出生地である西益津村(現・藤枝市)に近く、加藤が少年時代によく遊んでいたといわれる(藤枝市自体は海に面していない)。加藤まさをの長男で写真家の嶺夫は、「生まれ故郷は静岡県の藤枝市。海にも近く、よく浜辺に行って泳いだそうです。その記憶がヒントになった、と親類に話しており、私もそう信じているんです」と証言している。
このほか鳥取砂丘や、伊豆大島の三原山なども候補に挙げられたことがあるという。加藤まさを自身は、1969年(昭和44年)に御宿町が御宿海岸に「月の沙漠記念像」を建てたころから(詳細は後述)、御宿海岸がモチーフだと公言するようになり、1976年(昭和51年)5月には自らも御宿町に移住し、翌1977年に同地で死去している。加藤は「月の沙漠は御宿の砂丘」という揮毫(きごう)も書き残している。一方で加藤嶺夫は、「『月の沙漠』に関しても、特定の場所などを描いたりはしていないといっていいだろう」とし、御宿海岸説は御宿町による観光宣伝だと主張している。嶺夫は、「二十年ほど前のことだったと思うが、まさをの生まれ故郷の静岡県藤枝市に在住の方が、その件について本人に質したところ、「せっかく観光のメダマにしてくれているのに反対するほどのこともないでしょ」と笑いながら答えたという」と記している。童謡研究家の上田信道は、この加藤嶺夫の証言を紹介した上で、「結局のところ、「月の沙漠」のモデルの地については、この唄の聴き手の判断に任せるしかないでしょう」とコメントしている。
「月の沙漠」のイメージとなった海岸。細かい砂が広々と続いています。
「月の沙漠」の銅像です。
作詩の経緯について、「動機って、ただ『少女倶楽部』から“何でもいいから”と注文されただけですよ。ぼくは沙漠どころか、外国へはどこも出たことはないけれど、沙漠にはなんとなくあこがれがありましてね。沙漠の歌でもって気になったんです」と語っている。念頭に置かれていたのはアラビアの情景だったという。ただし、初出時に加藤自身が描いた挿画では、ラクダはアラビアのヒトコブラクダではなく、中央アジアのフタコブラクダになっていた[3]。後年に加藤が描いた絵では、ヒトコブラクダに修正されている。
水内際から記念館を望む。
海水は透き通っていてきれいです。
海風がとても気持ちの良い海岸でした。
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