歴史と洋風建築の美を堪能! 旧北海道庁函館支庁庁舎の見どころと魅力

まいどはやです。

今回は旧北海道庁函館支庁庁舎に行ってきたので記事にしたいと思います。

・この建物のある場所は、河野の館跡で、享和2年(1802)以来幕府はここに箱館奉行所を置き、明治に入って開拓使函館支庁・函館県庁・北海道庁函館支庁となり、その庁舎は明治40年(1907)の大火で焼失しました。
・明治42年に北海道庁技師家田於菟之助の設計により建設され、明治43年に完成しました。函館区が函館市となった大正11年(1922)から昭和25年(1950)まで渡島支庁庁舎として、その後は北海道関係施設として昭和32年まで使用されました。以後は、函館市の所有となり、准看護婦養成所や失業対策事業の作業所を経て、現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として活用されています。
・平成3年(1991)12月の火災後、函館市では2か年にわたって北海道の補助と市の援助を得て、復元工事を実施し、往時の美しい姿を再現することができ、平成6年度から再び使用されるようになりました。
・玄関ポーチのペディメントを支えるクラシックな玄関回りは、明治の木造建築の中でもひときわ美しいもので、公会堂や教会群の点在する元町界隈に一つの彩りを添えています。

※文化遺産オンラインより

堂々たる佇まいですね。

旧北海道庁函館支庁庁舎の解説案内板です。

敷地内にひっそりと「箱館奉行所跡」とあります。

「箱館奉行所」というと五稜郭のイメージですが、江戸幕府が日本の北辺防備の拠点として設置し、当初は箱館山の麓であるこの地に置かれていたようです。

・明治40年(1907)の大火で類焼を免れたもので、鉄の防火扉と小さな窓をそなえた一見土蔵風の建物です。煉瓦の一部に「明治七年函館製造」などの刻印があって、開拓使が明治5年に創設た茂辺地煉瓦石製造所の製品を使用していることがわかります。書籍庫の建築は明治13年と推定されていますが、同じ茂辺地煉瓦を用いた建築としては、函館常備倉(現存しない)や金森洋物店などが著名です。
・設計・施工共に不明であるが、技術・意匠などにより、金森洋物店の設計者として知られている池田直二であるという見方もなされています。
・各窓に防火の鉄扉と鉄柵を設け、煉瓦の積み方にフランス積みを取り入れるなど意匠や技法に特徴があります。外部四隅には隅石が組まれ、石造りの鉢巻が廻っています。小屋組は、杵束式木造トラスです。
・わが国の煉瓦造りの歴史を伝える、貴重な建築物です。

※文化遺産オンラインより

開拓使(かいたくし)は、北方開拓のために明治2年(1869年)7月8日から明治15年(1882年)2月8日まで置かれた日本の官庁である。

樺太開拓使が置かれた明治3年(1870年)2月13日から明治4年(1871年)8月7日までは、北海道開拓使と称した。開拓使設置前の北海道行政は箱館府(箱館県)が行なっていた。開拓使の廃止後は札幌県、函館県、根室県が設立された。

※Wikipediaより

今回は「旧北海道庁函館支庁庁舎」を訪ねました。

大変由緒ある建物を見たと言うだけでなく、箱館や開拓の歴史にも大変興味を持ちました。





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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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