ここにも「鎌倉殿の13人」 ~ 足立遠元(あだちとおもと) ~

まいどはやです。

今年の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」もすでに最終盤となっています。

主役の北条義時がどんどん悪者になっていき、周囲の要人をどんどん消していくので義時バッシングが激しくなっていますね。

個人的には義時の「そうするしかなかった」心情に興味を持ってみているのですが、これは少数派かもしれません。

さて、先般通りがかった都立舎人公園で、人知れず掲示されていたパネルがこれです。

足立遠元。

ドラマの中では若干影が薄かったかも?

10回で登場し、38回で退場していますね。

ドラマではこの方が演じてられます。

(NHK 「鎌倉殿の13人」 HP から)

見れば思い出すでしょ?

で、この足立遠元というお方はどのような方だったかと言いますと~。

足立 遠元(あだち とおもと)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。足立氏の祖。武蔵国足立郡(現東京都足立区から埼玉県北足立郡)を本拠とする。館跡は現在の桶川市やさいたま市など数か所にある。

出自
足立氏は武蔵国足立郡を本拠とした在地豪族で、遠元の父・藤原遠兼が武蔵国足立郡に土着し、遠元から足立を名乗ったとされる。『尊卑分脈』によると藤原北家魚名流の藤原山蔭の後裔であり、安達盛長は遠兼の弟としている。兵庫県丹波市足立九代次氏所蔵「足立氏系図」(『新編埼玉県史』別編4年表・系図一九九二年埼玉県六八~七二頁)によると、藤原北家勧修寺流の藤原朝忠の後裔とする。一方で、武蔵国造家の流れで承平天慶の乱の時代に足立郡司であった武蔵武芝の子孫とする説もあるが、武蔵国造家の系譜「西角井系図」(『浦和市史』第2巻〔古代・中世史料編1〕)には、武芝の外孫・菅原氏が氷川神社の祭司・足立郡司を引き継いだことが記されているものの、遠元の名は現れない。いずれにしても、遠元以前の系譜は曖昧ではっきりしない。

略歴
平治の乱で源義朝の陣に従い、右馬允に任官し、源義平率いる17騎の一人として戦った。

治承・寿永の乱においては、治承4年(1180年)8月に挙兵した義朝の遺児・源頼朝より前もって命を受けており、頼朝が下総国から武蔵国に入った10月2日に豊島清元・葛西清重父子らと共に武蔵武士で最初に迎えに参上して、頼朝が鎌倉入りした直後の8日、武蔵国足立郡を本領安堵された。これは、頼朝による東国武士への本領安堵の最初である。

元暦元年(1184年)10月6日、公文所が設置されると、5人の寄人の1人に選ばれた[4]。建久元年(1190年)に頼朝が上洛した際、右近衛大将拝賀の布衣侍7人の内に選ばれて参院の供奉をした。さらに、奥州合戦の勲功として頼朝に御家人10人の成功推挙が与えられた時、その1人に入り左衛門尉に任ぜられる。頼朝死後、2代将軍源頼家の時に成立した十三人の合議制の1人に安達盛長とともに加わる。

『吾妻鏡』承元元年(1207年)3月3日条の闘鶏会参加の記事を最後に史料から姿を消している。少なくとも70代の高齢に達しており、程なく没したと見られる。

幅広い縁戚関係を築き、娘の1人は院近臣の藤原光能に嫁ぎ、京都権門とも深い繋がりを有していた。また、別の娘は畠山重忠および北条時房にそれぞれ嫁して、男子を儲けている。武士出身でありながら公文所寄人に選ばれるなど、坂東武士の中にあって文官的素養を持つ人物であった。

※Wikipediaより

ドラマ的に要点をまとめると、

○頼朝の流刑時代からの最側近であった安達盛長は、足立遠元のおじさん。

○挙兵後、石橋山の戦で敗走した頼朝は房総に渡って武蔵を経て鎌倉に入ったが、武蔵で頼朝を迎えて最初に御家人となった者の一人であった。

○頼家のもとにできた13人の合議制のメンバーの一人。

○娘が畠山重忠と北条時房に嫁いでいて、それぞれ男子が生まれている。

すごいですねぇ。

もっとPRしてもいいんじゃないでしょうかねぇ。

最後に都立舎人公園について書いておきますね。

舎人公園(とねりこうえん)は、東京都足立区舎人、舎人公園、西伊興、古千谷、皿沼などに広がる都立の総合公園である。

約63ヘクタールの敷地は、公園中央で十字に交わる道路(尾久橋通り、舎人公園通り)にて4区画に分けられている。西側敷地(A・D地区)に陸上競技場(3種公認)、テニスコート、野球場などのスポーツ施設、東側(B・C地区)には水鳥が見られる大池や親水広場などの自然と親しむスペースやキャンプ場が、特に南東部にはバードサンクチュアリも設けられている。埼玉県境からも近く、埼玉県からの利用者も多い。

かつては鉄道駅から遠かったため、アクセスには都営バスや自動車が必要だったが、尾久橋通り上に日暮里・舎人ライナーが開業し、東西の敷地に挟まれる位置に舎人公園駅が開業したため、アクセスしやすくなった。また、同鉄道の車両基地が公園東側敷地内地下に存在する[7]。有料駐車場は2か所にある。





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この記事を書いた人

電子機器の試作会社、老舗出版会社、通信系IT企業を経由して、現在は兼業ブロガー。SDGsに貢献しつつ、生活の中で課題をもって購入した商品のレビュー、プチ旅行の紹介、忘れつつある記憶の記録など、おおむね個人の趣味を綴ったブログにしたいと思います。

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